こんにちは! cloudpack.media編集長の増田です。

夕方に虎ノ門ヒルズ近くの歯医者で最後の治療を終えた瞬間、Facebookメッセンジャーからの通知がありました。

「マスダサーン、まだ会社にいます? 『iMac成人式』という飲み会を近所で開催しているんですよ。よかったら来ませんか?」

それは、かつてApple Japanで働いていた頃の仲間からの連絡でした。どうやらお店に入る直前に虎ノ門ヒルズが見えて、そこで働く筆者のことを思い出してくれたとのこと。速攻でお店に飛んで行くと、かつての戦友たちが揃いも揃って、笑顔で迎えてくれました。

ヤア、ミンナ! オヂサンニナッタネ!!(笑)

初代iMacの発売から20周年

ボンダイブルーの初代iMacが日本で発売になったのが1998年8月29日、なんと20年が過ぎました(だから『iMac成人式』だったわけです)。

iMacは、当時Appleが経営危機から完全に脱するきっかけになった製品であり、それまでのパーソナルコンピューターの歴史において存在しなかったトランスルーセント(半透明)なインダストリアルデザインは、一目瞭然で誰の目にも違いがわかる「真新しいコンピュータ」でした。

「ボンダイブルー」と呼ばれた色のネーミングは、iMacの開発に携わった誰かの故郷、オーストラリアのボンダイビーチの海の色にちなんでつけられたもの。確かに色そっくりですね!

本体の個性的なフォルムはもちろん、キーボードやマウス、電源ケーブルにいたるまで細部にわたりボンダイブルーで作り込まれており、故スティーブ・ジョブズ氏が発表時「他の惑星からやってきたパーソナルコンピューター」と紹介するのも頷ける斬新なデザインでした。

しかし実際には、CPUもオペレーティングシステムもそれまでの製品と変わらずで、むしろグラフィック性能にいたっては壊滅的な遅さ(個人的な感想です)。そう、インダストリアルデザインにフォーカスを当てた『Appleが生き延びるために生まれた製品』だったのです。

さて、8月の発売から少々落ち着いた頃、同年冬のボーナス商戦にあわせて、月額2,980円でiMacが手に入る『1%ローンキャンペーン』を展開。友人・知人にも案内を広げ、年末にかけてボンダイブルーのiMacは飛ぶように売れていきましたが、翌年1月のMACWORLD EXPOでカラフルな多色展開が発表されたあとは、ボンダイブルーでローンを組んだばかりの友人・知人からのクレームが相次いで悩まされることになりました。

タンジェリン、グレープ、ライム、ストロベリー、ブルーベリーと呼ばれたキャンディカラーのiMacがくるくる回るキュートなテレビCMが流れ始めると、息子の仕事にさほど興味を示さなかったパソコン音痴の母ですら「欲しいわ」と言いだすほど。iMacは、世の中に一気に広がって行きました。

秩序を崩さなければAppleには未来がない

iMacがヒットした理由は、インダストリアルデザインだけではありません。

1998年5月にiMacが発表された当時は「おもちゃっぽい」「こんなの誰が買うんだ」と批判的な評価が多くを占めていたり、環境に悪影響を及ぼすと言われていたポリカーボネート素材をふんだんに使っていたことからデザイナーの川崎和男氏からも痛烈に批判されました。それでもなお、なぜiMacは発売と同時に大ヒットとなったのか。

実は、178,800円という価格にも理由がありました。

当時のWindows PCの価格帯と言えばおおよそ20万円以上で、店頭で20万円以下の製品を見かけるとほぼ旧モデルの在庫処分。そんな時代にピカピカの斬新なデザインの新型パソコンが178,800円というのは、かなりインパクトがありました。

Appleがこの価格でiMacを発売できたのは、それまでの流通と物流を根本から作り変えたからです。

当時の流通マージンは約27%。在庫処分等で値下げしたときの価格補填を含めるとさらに35%にまで膨れます。これをiMacでは常識破りの流通マージン11%・価格補填をゼロにする施策を打ち出します。従前の秩序を壊してまで行われたこの変更は、まさにThink different.な施策そのものでした。

「iMacは新しいラインアップであり、これまで販売してきたMacintoshとは別製品である」と定義し、前述のマージンでの新たな販売契約を取り付けることになりました。当然、販売店側とは全面戦争に。前進しなければまさに死ぬだけでしたから、片道分の燃料しか積まない戦艦大和や特攻機のように突き進むしかなかったのも事実でした。筆者は店頭プロモーションの準備に追われていただけですが、販売店との交渉にあたっていた人たちは、オフィスで見かけても連日ピリピリした表情をしており、雑談など迂闊に話しかけられないほどの雰囲気でした。

そして熾烈な交渉の末、iMacの発売日までにAppleの交渉に理解を示し契約してくれた販売店は、全国でわずか98店舗。当時の『Macintosh販売店』は3,000店舗以上あった記憶がありますので、かなり熾烈な交渉が繰り広げられたことが伺えます。

従来の流通マージン35%のままで発売していたら238,000円になっていたiMacを、流通施策を改革することでインパクトのある178,800円で発売することに成功。これがiMacがヒットしたもう一つの理由だったと言えるでしょう。

ちなみに物流の方。生産されたiMacは、シンガポールの工場から海上輸送ではなく、毎日のように空輸されていました。物流コストもそれまで以上に膨れていたはずです。

「iMacは、店頭に入荷したら即売り切れる状態にしたい。空輸でどんどん入荷してくるから、秒速で売れていくようなプロモーションを仕掛けるんだ。流通在庫を限りなくゼロにすれば価格補填は必要なくなる。その費用と比べたら空輸にかかるコストなんてぜんぜんたいしたことない!」という説明を受け、背筋がピンと伸びた憶えがあります。

178,800円での発売にこぎつけるべく、販売店との新たな契約交渉という高いハードルを乗り越えて、新たな流通モデルを実現した人たちに頭が下がる思いでいっぱいでした。

当時、iMacの発売は文字通り起死回生の一打だったこともあり、営業メンバーを中心に「Mac売り隊」を結成して、週末ごとにこの缶バッジ(左にちょっとズレてる)を胸につけて販売支援で店頭に立つなど、ほぼ社員総出でiMacを「入荷したiMacを即売り切る」ことに力を注ぎました。

しばらくして社内で配られたのが、こちらのA4サイズのレター。

こちらのレターには、iMacの登場で一丸となったApple Japanのメンバー207人の名前が記されています。ただの紙と言えばそれまでですが、経営的にはまだ余裕がなかった時期だけに、心憎いばかりの社員へのもてなしだった気がします。

このレターには、ほんの少し前まで倒産・買収など悪い噂が絶えなかったAppleで、文字通り逆境に勇敢に立ち向かった人たちの名前が刻まれています。決してノスタルジーではなく、ここに自分の名前が載っていることに筆者は今も誇りを感じ続けています。

絆を創るユーザーエクスペリエンス

「ユーザーエクスペリエンス(ユーザー体験)」という言葉が頻繁に飛び交ったのは、この頃からです。

iMacはコンピュータなので製品スペックこそ公開されていましたが、CPUやクロック数、積んでいるグラフィックに訴求できるほどの強みがなかったのもあり、色を含むデザインで弱点をマスクし、当初は3ステップでインターネットにつながることが訴求されました。「すぐにインターネット体験がはじめられる」という付加価値をプラスして、他パソコンとの差別化を行ったのです。

実際にはそんなに簡単じゃなく、iMacがネットにつながらなくなった、マウスが反応しなくなった、と実家から何度も呼び出されたりしました。それでも、息子が仲間たちと心血注いで提供している製品を家族が愛してくれているという事実は、なんとも言えない喜びでした。

商品が生まれた背景・ストーリーを伝えてその商品を販売するという『体験』をコアにしたマーケティング手法は、昔からあったと思うのですが、いま当たり前のように取り入れられるようになったのは、ディズニーの成功があったり、スターバックスの成功があったり、そしてAppleの復活があったからだと思うのです。

当時、スティーブ・ジョブズ自身も「モノを売るのではない。モノがもたらす体験を売るのだ」と語っていました。Appleでユーザーエクスペリエンスが戦略の中心に置かれるようになってから、その後に登場するiPod、iTunesやiMovieをはじめとするiLife製品、そしてiPhone、iPadと快進撃は続きます。当時の逆境が忘れられるほどにまで、完全復活を遂げる源泉になったのはユーザーエクスペリエンスだったと言っても過言ではないでしょう。エクスペリエンスは、メーカーとユーザーの間に「絆」を創るのです。

歴史に残る大ヒット商品というものは、一人ひとりのエクスペリエンスから生み出された『価値』が絆となって積み重なりあった結果、誕生するものなのかもしれませんね。

お別れのご挨拶

さて、この記事を最後にcloudpack.mediaの編集長を交代することになりました。そのポストは、cloudpackのエバンジェリスト・後藤和貴に託します。

アイレットが運営する3つめのサイトとして誕生した『cloudpackのオウンドメディア』の初代編集長として2年。やりきった感などはほとんどありませんが、商品サイトであるcloudpack.jpとの相乗効果を狙ったりしながら、営業と採用の両面である一定の成果が得られたりしていることに、個人的には満足しています。

cloudpack.media編集長としての任から解き放たれたあとは、これこそ私ごとですがワクワクするような新しい挑戦が待っています。Apple Japanで働いていた頃に、もともと微かに存在していた挑戦ジャンキーな性格が育ってしまい、面白そうな挑戦を見つけるとノーブレーキで首を突っ込んでしまう性分になりました。

よく周りからは、そんな私の様子に「守りに入ったら負けだと考える気持ちは理解するけど、その歳でそろそろ怖くないのか?」と聞かれることがあります。不安がないと言ったら嘘になります。ところがですね、Appleの逆境イデオロギーに毒された筆者には、自分を奮い立たせる『麻薬的な言葉』があります。

さあ、世界を、ひっくり返せ!

これを念仏のように繰り返し唱えては、今日も明日も不安を吹き飛ばして生きていくのあります。

最後まで読んでくださり、ありがとうございました。また、どこかでお会いしましょう。