中国で書かれた伝記歴史小説『水滸伝』に登場する百八星の豪傑たちが集う『梁山泊』に例えて、cloudpackに集結するエンジニアを『梁山パック』として、ここにその個性豊かな表情を順にお伝えしていきたい。

プロローグ

きょう登場するメンバーは、cloudpackエンジニアの比嘉東一郎だ。社内に『比嘉』姓が複数いるので、みんな彼のことを『東一郎(とういちろう)さん』と呼ぶ。

東一郎のインタビューで、この『梁山パック』も3人目だ。私自身がインタビューにも慣れてきたのと、虎ノ門オフィス周辺ばかりだとすぐに飽きてしまいそうな気がしたので、「行きつけの店に呼んでください」なんて東一郎にリクエストをしてみた。

東一郎から指定された場所は、大江戸線の大門駅から徒歩数分のところにある居酒屋『よござんす 侍』だった。どうやら自宅から近く、文字どおり行きつけの店らしい。

19時過ぎ、オフィスから向かうことにする

虎ノ門ヒルズから大門まで、徒歩でせいぜい15分といったところだろう。せっかくなので『Pokémon GO』を立ち上げて、ポケモンを集めながら歩くことにした。しかし、日比谷通り沿いの愛宕周辺に、ポケモンはあまりいないようだ。

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北大門を曲がると、この一帯がラーメン激選区であることに気がつく。
ほどなくしてお店をみつけた。ここの2Fだ。

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刺身が素晴らしいお店だと聞いているが… なにっ!焼酎が100種類もあるのか!

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ワクワクしながら階段をあがって扉を開けると…いた!

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「すいませんお待たせしてしまって…」
「大丈夫です。こうして先に飲んでましたので」

オフィスから離れたところでインタビューすると、こんな始まり方もできるのですね。

元オンプレミスエンジニアのうちなーんちゅ

比嘉東一郎という、名前でお気づきの読者も多いと思う。彼は沖縄県の出身だ。ここでは愛を込めて『うちなーんちゅ(沖縄県民)』と記そう。何を隠そう、筆者は『やまとぅーんちゅ(本土の人)』だが、重度の沖縄病を患っていて、優しいうちなーんちゅに出会うと嫁ぎたくなるほどだ(嘘)。

東一郎は、1年前の転職でcloudpackに入社するまでは、ずっと沖縄県で過ごしてきた。生まれも育ちも、進学も就職も沖縄だったと言う。

前職は、沖縄にあるシステムインテグレーターで15年、エンジニアとしてキャリアを積んできた。沖縄には大手の民間企業が少ないこともあり、主に県庁や自治体などの公共プロジェクトに携わることが多かった。

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東京と沖縄で、案件がどのように違うのか訊ねてみた。

「狭い地域で市場が限定されているからこそ、お客様との距離は圧倒的に沖縄の方が近いですね。島の限られたエンジニアリソースで、分業が進まないままにお客様と密接にプロジェクトが進みますから、沖縄で働くエンジニアの方が幅広いスキルが身につきやすいと感じました。エンジニアは案件を通じて成長していくので、私も沖縄時代にずいぶんとお客様に育てていただきました。」

「一方で、民間企業の大型案件を経験するなら、東京の方が圧倒的に優位ですね。」

cloudpackで携わった案件は、規模も深さも、沖縄に居たらできなかった経験だ、と東一郎は言う。しかし、エンジニアとしての基礎は、地方で働くほうがスキルアップしやすい気がするというコメントも。

「地方のSIerって言っても千差万別ですよね。私は公共案件の元請けに就職できたおかげで、スキルアップの観点では運が良かった。東京での案件は、忙しすぎるんですよ。エンジニアがたくさんいて、細かく分業されたプロジェクトに放り込まれれば、どうしても視野は狭くなりやすい。沖縄では上位レイヤーから下位のレイヤーまで、現場叩き上げで自在にこなすエンジニアが多かったし、実際、自分もそういうエンジニアとして育ちました。」

「東京に来て、スキルが希釈化されていないか?」と東一郎は、自分自身に目を光らせている。

顧客のクラウド移行による、案件減少の危機

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こんなに立派なお刺身盛りが届けられ、呑みの暖機運転が十分になったところで、転職で沖縄を離れ東京に居を移すことになった経緯を訊ねてみた。

「当時、自分が手がけた案件は、すべてオンプレミスの案件でした。物理サーバーを購入しないと構築が進まない世界です。『もっと安くできる方法はないか』『調達をもっと早くできないか』とお客様からの要望を聞く度に、解決策としてAWSクラウドが頭に浮かぶんです。AWSならできるはず…そう思っていても、前職ではやはり推すのはオンプレミス環境だったので、このままでは時代に取り残されるという不安がありました」

東一郎の不安は的中する。顧客がクラウドの優位性に気がつき、情報収集の上手な顧客からオンプレミスからクラウドへのシフトが始まった。不安が確信に変わり、ついにcloudpackの扉を叩く。

「自分はクラウド業界に転身する!」
一度も沖縄から出たことのない東一郎にとって大きな決断だった。

エンジニアとして歳を重ねる勇気と覚悟

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20代で先輩の背中を見ながら仕事を覚え、30代で危機感を募らせたと振り返る。沖縄でそれなりの規模だが濃密な案件に携わるのか、濃密さには欠けるが東京で大きな案件に携わるのか、どちらもエンジニアとしてはチャレンジだ。

覚悟の決め方は人それぞれだからと、東一郎は笑ったが、40代から50代を想像して未踏の経験を積むならば、東京しかないと考えるようになったと言う。

「とにかく沖縄はのんびりしすぎなんです。のんびりするのは悪いことじゃないですよ、あくせく働かずに居られるなんて最高じゃないですか。でも、それが私にはリスクになってしまった。沖縄で忙しいなりに40代を過ごし、その先でなんとなく50代を迎えるなんて想像したらゾッとしたんです」

うちなーんちゅとしてのアイデンティティを捨てるわけではない、むしろアイデンティティを失わずにチャレンジを続ければ、何処で活躍しようが、いつか自分を育んでくれた沖縄に還元されると信じているのだ。

「いま沖縄にいるエンジニアで、東京に出て頑張りたいという人がいたら、背中を押したいと思う。沖縄って賃金の問題もあって、島を出たくても、敷金・礼金はおろか引っ越し代すら出せないような状態の若者も多いんです。でも、一歩を踏み出す勇気さえあれば、東京に出てくる方法はいくらでもあるぞと言いたい」

東一郎は、上京してから東京タワーが見える部屋を借りた。
そういえば、この店に来る前に見た東京タワー、少し誇らしげでしたよ。

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『なんくるないさー』の真意

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沖縄病の筆者としては、ここまで東一郎が『うちなーぐち(沖縄の方言)』をひとつも発していないことに、若干の不満が生じていた(笑)

うちなーぐちで、一番好きな言葉を教えてください、と訊ねると東一郎はしばらく考えてこう言った。

「なんくるないさー、かな」

うちなーんちゅの『なんくるないさー』は、よく誤解される。私はやまとぅーんちゅだけど、沖縄病な筆者としては、ここで正しい意味を伝えたい。

『なんくるないさー』を標準語に訳すと『何とかなるさ』になるのだが、南国独特の緩い雰囲気や楽観的、テキトー感を表現する言葉だと思われている節がある。

琉球王朝は、薩摩侵攻と廃藩置県によって日本に組み込まれ沖縄県となり、太平洋戦争末期の惨劇は歴史の教科書のとおりだ。戦後は米軍基地の問題がつきまとう。

太平洋戦争では沖縄は大本営の捨て石となり、米軍に家を焼かれ、家族を失い、島民は日々を生き延びることで背一杯だった。太平洋戦争末期、東一郎の祖母は熊本に疎開中、祖父は読谷村付近で艦砲射撃から逃げまくって生き延びたそうだ。

沖縄県民にとっては『絶望の歴史』だと東一郎は言う。その中から生まれた言葉が『なんくるないさー』だ。

努力しても踏ん張っても結果が出ないこともある。でも精一杯やったのならいいじゃないか。だから不安な顔はやめて「なんくるないさー」と笑顔で励ますときの言葉だ。

基本的に「なんくるないさー!」は、頑張って努力している人に寄り添ってかける言葉であり、自己の楽観視から発する言葉ではないのだ。

とことん踏ん張って、心が折れそうになったときの魔法の言葉だ。

「やまとぅーんちゅなのに、よく知ってますね(笑)」

(いかん!つい熱く語りすぎた)

聞き手:増田隆一(marketing communication, cloudpack)
取材:2016年6月22日@天下酒処 よござんす 侍

東一郎との個別面談を承ります

特にうちなーんちゅに限定していませんが、東一郎と一緒に働いてみたいと思ったエンジニアの方は、cloudpackの採用ページ から個別相談をお申し込みください。中途採用会社説明会の『虎はち会』 に顔を出す可能性もありますよ。

取材協力:よござんす 侍

店内での撮影に快くご協力いただきました。
東一郎の行きつけの店らしいので、もしかしたら本人にバッタリ会えるかも?!

京鴨料理と100種ワイン 個室 居酒屋
天下酒処 よござんす 侍
http://r.gnavi.co.jp/b722103/

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