前回のあらすじ
【連載第5回】なぜ障害対応は「モグラ叩き」で終わるのか? 災害に強い都市を造るITILインシデント管理術
前回、私たちはSREという思想に基づき、都市の重要インフラ(システム)の「耐震性・回復力」を科学的に鍛える手法を学びました。CloudWatch
のSLOで市民サービスの品質目標を定め、AWS Fault Injection Service
で意図的に防災訓練を行うことで、私たちの都市は災害に強い、堅牢な基盤を手に入れました。
しかし、どれほど頑丈な都市を設計しても、その財政が破綻してしまっては、新たな文化施設を建てることも、市民サービスを向上させることもできません。
「今月のインフラ予算、なぜこんなに膨れ上がっているんだ…?」 「新しい市民サービスの開発に、コストが壁となって踏み出せない…」 「財務部から『とにかく予算を削減しろ』という一方的なお達しで、現場が疲弊している…」
このような状態を、私は「クラウド貧乏」と呼んでいます。これは、都市の財政状況を誰も正確に把握しないまま、無計画な公共事業を乱発している危険な状態です。
今回お話しするのは、この「クラウド貧乏」から卒業するための、単なる「緊縮財政」とは一線を画す、FinOpsという新しい市政運営の思想です。
この記事でわかること
- なぜ多くの組織が、便利なはずのクラウドで「クラウド貧乏」に陥ってしまうのか、その構造的な原因。
- コストを「歳出」ではなく、都市を発展させる「投資」と捉え直す、FinOpsという文化と考え方。
- 「見える化」「最適化」「運営」というFinOpsの市政改革サイクルを、AWSのサービスでどう実践するか。
AWS Compute Optimizer
やCost Anomaly Detection
を活用した、「攻め」の財政最適化とは。
なぜ私たちの「クラウド都市」は「クラウド貧乏」に陥るのか?
クラウド貧乏に陥る原因は、技術的な問題というよりも、市役所内の縦割り行政(組織的なサイロ)にあります。
- 財務部は、AWSから届く一枚の請求書を見て「予算超過だ」と嘆きますが、どの公共事業にどれだけの税金が使われているかは分かりません。
- 建設部(開発部門)は、市民の要望に迅速に応えるためインフラを構築しますが、そのランニングコストへの意識は希薄になりがちです。
- 市民サービスの企画部(事業部門)は、新しいサービスの価値を追求しますが、その裏で動いているインフラのコスト構造を意識することは稀です。
全員がそれぞれの立場で最善を尽くしているはずなのに、都市全体として見ると、誰も市政のコストに責任を持っていない「無責任な予算執行」状態が生まれてしまうのです。
FinOpsは、この縦割りを打ち破り、「市長から現場職員まで、全員が同じ財政レポートを見て、賢い予算執行を心がける」ための、文化であり、OSであり、実践的なフレームワークなのです。
FinOpsという「新しい市政OS」:改革の3フェーズ
FinOpsは、一度きりの改革ではありません。「見える化」「最適化」「運営」という3つのフェーズを継続的に回す、終わりのない市政改革のサイクルです。
フェーズ1:見える化 (Inform) – 「国勢調査と財政白書」で現状を把握する
何よりもまず、「どの市民サービスに、どれだけ税金が使われているのか」を正確に把握することから始まります。
- 実践:
- 徹底した台帳管理(タグ付け)
- すべてのAWSリソースに、「どの部署」「どの公共事業」「どのサービス」のものかを示す資産管理タグを付けます。これは、FinOpsの根幹をなす最も重要な活動です。
- 財政の可視化
AWS Cost Explorer
を使い、タグベースでコストを分析します。「先月からA地区の水道光熱費が急増している」といったインサイトを得ることができます。
- 予算アラート
AWS Budgets
で事業ごとに予算を設定し、超過しそうになると担当部署に自動でアラートが飛ぶ仕組みを構築します。
- 徹底した台帳管理(タグ付け)
このフェーズで、私たちは初めて、組織全体で共有できる客観的な「財政白書」を手に入れるのです。
フェーズ2:最適化 (Optimize) – 「都市再開発」で価値を高める
現状がわかったら、次はいかにして「より少ない予算で、より価値の高い市民サービスを提供するか」を考えます。これが「攻め」の財政最適化です。
- 実践:
- AIによるインフラの最適化
AWS Compute Optimizer
は、機械学習を使って公共施設(EC2インスタンスなど)の利用率を分析し、「この庁舎は利用者が少ないので、もっと小規模な施設に統合できます」といった具体的な改善案を提示してくれる、AI搭載の都市計画コンサルタントです。
- 賢い土地購入(購入オプションの活用)
- Savings Plansやリザーブドインスタンスを計画的に活用し、インフラの利用料を大幅に削減します。
- 建築様式の進化
- ピーク時以外は利用されない施設を、サーバーレス建築(AWS Lambdaなど)に建て替えることで、維持コストをゼロに近づけます。
- AIによるインフラの最適化
Compute Optimizerの提言に従って都市のインフラを最適化するだけでも、多くの場合10%以上のコスト効率化の可能性があります。実際に、デザインプラットフォーム大手のCanva社は、Compute Optimizerを含むAWSのコスト最適化ツールを活用し、2年弱でコンピューティングコストを46%削減したと報告しています¹。これは、もはや「緊縮財政」ではなく、データを元にした「賢い都市投資」なのです。
- 私が過去に執筆したCompute Optimizerの記事もぜひ参照ください。
フェーズ3:運営 (Operate) – 「建築基準法」で常に最適化する
最適化は、日々の市政運営に組み込まれてこそ、その真価を発揮します。
- 実践:
- 不正支出の自動検知:
AWS Cost Anomaly Detection
は、機械学習を使って日々の予算執行を監視し、「いつもと違うパターンの支出増」を自動で検知してくれます。設定ミスによる意図せぬ予算の浪費などを、被害が大きくなる前に発見できる「会計監査システム」です。 - 条例による統制(ガードレール):
AWS Service Catalog
などを活用し、各部署が建設できる建物の種類を、エネルギー効率の良いものに限定するといった「建築基準法」を設けます。
- 不正支出の自動検知:
このフェーズが成熟すると、コスト意識は文化として根付き、職員は「予算超過を恐れて萎縮する」状態から、「予算の安全装置に守られながら、安心して新しい市民サービスを企画できる」状態へと変わるのです。
この文化変革を成功させる鍵は、財務・開発・事業部門から選抜されたメンバーによる、部門横断の『FinOpsチーム』の結成です。彼らが旗振り役となり、全社的な取り組みをリードするのです。
FinOpsは「文化」である – 次世代MSPの役割
ここまで読んで、お気づきかもしれません。FinOpsの成功は、ツールを導入するだけでは達成できません。財務部、建設部、企画部が、コストという共通言語で会話し、協力し合う文化変革こそが核心です。
ここで、次世代MSPの役割が重要になります。従来型MSPが、月に一度請求書を届けるだけの「会計事務所」だとしたら、次世代MSPは、あなたの市政に入り込み、賢い予算執行をコーチングする「都市計画の専門家」です。
- 資産管理タグの戦略設計を支援し(見える化)
Compute Optimizer
の分析結果を市民の価値という言葉で翻訳し(最適化)Cost Anomaly Detection
のアラートを日々の監査プロセスに組み込む(運営)
私たちは、部署間の架け橋となり、あなたの「クラウド都市」にFinOps文化が根付くまでのプロセス全体を支援します。
まとめ:「クラウド貧乏」の卒業。賢い投資で、市民が豊かになる都市へ
FinOpsは、「予算をどうやって削るか」という後ろ向きな議論ではありません。「限られた税金を、都市のどの部分に投下すれば、最も大きな市民価値(リターン)を生むか」を、データに基づいて判断するための、極めて前向きで戦略的な市政運営の手法です。
災害に強いインフラ(SRE)という強靭な基盤の上に、今、FinOpsという賢明な財政システムが加わりました。これで私たちのクラウド都市は、持続的に発展し、市民に価値を提供し続けることができます。
「FinOpsへの道は、壮大な計画からではなく、小さな成功体験から始まります。まずは特定のプロジェクトでCompute Optimizerを試行し、数%でもコスト削減という『目に見える成果』を出すこと。その小さな成功が、全社を動かす大きなうねりの第一歩となるのです。」
次回予告
堅牢なインフラ、健全な財政。都市の基盤は万全です。しかし、この都市運営をさらに高度化するため、もし「事件や事故の発生を、事前に予測できるとしたら?」どうでしょうか。
次回は、AIOpsという新しい都市監視システムに焦点を当て、障害の予兆を検知し、市政をさらにプロアクティブに変える未来を描きます。
【第7回】「アラート疲れ」に終止符を。AIOpsで障害を未然に防ぐにご期待ください。
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