2017年からアイレットに出向し、2022年にアイレットへの転籍を決意した平野 健介。

平野の率いるアジャイル事業部が右肩上がりの成長を続けている秘密とは?
彼の思考に強いインパクトを与えた衝撃的な上司との出会いエピソードも交え、アイレットだからこそできたこと・今後やっていきたいことを存分に語っていただきました。

#1はこちら:https://iret.media/70917
(聞き手:iret.media 編集長 一筆太郎)

 

アジャイル事業部 事業部長
プロジェクトマネージャー
平野 健介 KENSUKE HIRANO
2006年、新卒で KDDI に入社。キャリア決済の ID 基盤を立ち上げるプロジェクトをはじめとする大規模案件を担当。2017年よりアイレットに出向し、SIer の立場で KDDI のプロジェクトを中心にさまざまな開発案件を推進する。2022年、アイレットに入社。アジャイル事業部の事業部長として、全体の統括管理、案件獲得・提案活動、採用などに携わる。

厳しい環境を求めて新天地へ

KDDI の中でやりたいことがやれるようになって、一方で同じ部署での勤務が長くなり多少“ぬるま湯”にも感じ始めた矢先に訪れたアイレット出向という転機。絶妙なタイミングでの出向は、どのような経緯で決まったんですか?


以前の上司の岩永(現アイレット社長・岩永充正)と飲みに行ったら、岩永がとある会社に移るというんですよ。どんな会社か聞いて「面白そう!」となり、思わず「自分も連れてってください」と言っていました。そうしたら2017年の3月に突然、出向を言い渡されて、4月からアイレットに行くことになったんです。


アイレットのどんな部分を「面白そう!」と感じたのでしょうか?


岩永から、「ベンチャーでクラウドに強くて、とんでもない技術のエキスパートがいる」と聞きました。そういう話って、情報以上に誰が言うかって大事じゃないですか。岩永がそう言うのだから本当にそうなのだろうと。もともとベンチャーにも興味があったんです。


平野さんは新しいビジネスをどんどんやっていきたいっていうのがありましたよね。


KDDI で最後にいた部署がちょっとベンチャーっぽい空気のある部署だったので、もっと ”THE ベンチャー” に行ったらどうなるんだろうという興味もありました。

アイレットでの衝撃1:ロジカルシンキングを極めた上司のもと、研鑽の日々

出向後はすぐにアジャイル事業部に配属されたのですか?


当時のアイレットはまだ事業部制ではなく、今のアジャイル事業部のような部署はなかったのですが、KDDI の案件を開発するチームにアサインされたんです。そこの直属の上司が鈴木(現アイレット執行役員常務・鈴木宏康)でした。


鈴木さんとの出会いは、平野さんにとってかなり大きなインパクトがあったということですが。

そうですね、もう色々衝撃でした。鈴木はめちゃくちゃロジカルで、そのうえ、自分の出した答えに一点張りする傾向があるんです。困った時にゼロベースで一番ロジカルな答えを導き出して、そこに全振りしてしまう。例えば、ある案件で鈴木が「新しい技術、事業を追求しないとダメになる」とサーバーレスに振り切ったことがあるんですが、五年後の今も当時のアセットを駆使してサーバーレスで利益を出しています。
「こんなにロジカルな人いるんだ」という衝撃と、しかも「それ極振りするんだ」という極端さ。今でも困った時は「鈴木ならどうするか」を考えています。


リーダーとしてはどのようなタイプでしたか?

当時立ち上げで人が足りなかったところもあるんですが、鈴木の場合は有りものの戦力で、うまく能力を引き出してなんとかしてしまうんです。冷蔵庫にあるものだけで一品作っちゃうみたいな。入ってくる人を選ぶのではなく、入ってきた人を能力に応じて使う。できないところは自分が引き取って、それで成り立たせてしまうという。人を選んでいないのに、どんな人が入ってきてもうまく使いこなしてしまうんですよ。


すごいですね。それで最終的なアウトプットはクオリティの高いものを出すわけですもんね。

ええ、信じて任せてやってもらって、その人なりのアウトプットを活用して最後帳尻合わせしてなんとかしちゃうみたいな、独特なやり方。いまだにそういう人、他には知らないですから。衝撃でしたね。

アイレットでの衝撃2:突然事業部長に就任。プレッシャーに耐え右肩上がりの成長を果たす

平野さんが出向された時にはまだ部署がなかったんですよね。アイレットが事業部制になったのはいつ頃ですか?

事業部になったのは2018年頭です。ところが間もなく、事業部長の鈴木が他拠点に常駐しなければならなくなり、2018年10月から僕が事業部長として独り立ちすることになりました。人生で一番苦しかった時期かもしれないですね。


事業部長になって、どのような苦労があったのですか?

事業部になったことで、利益目標を外すわけにはいかないというプレッシャーを負うことになりました。メンバーの給料は事業部の利益に左右されるので、うまくいかなければ昇給できないし賞与もあまり出せない。自分が舵取りを間違えたらみんなの給料が望む形にならないんです。


なるほど。

しかも、様々なトラブルが重なり、なんと赤字でのスタートとなってしまいました。2年目の利益目標は数千万円規模で、赤字を出しながらも案件獲得に奔走し、年度末に駆け込みでなんとか達成したんです。


すごい!

かなり無理もしていたのでスケジュールが破綻しそうになったり、それでも利益が足りないから追加で案件取ったりと、火の車になりながらなんとか利益目標だけは達成しました。当時は毎日仕事の夢を見てうなされていましたね。


そこからのアジャイル事業部は右肩上がりですね。成長した理由はどの辺にあるのでしょうか?

一つは、利益目標を達成するためにがむしゃらにやっていた最初の頃に、メインのクライアントの案件を一切断らなかったこと。おかげで、見込み客が増えたんです。中には計画通りにいかなかった案件もあったのですが、時間をかけて改善するところまでやり切ったので、最終的には V 字回復できています。
もう一つは、正社員を増やしたことです。5年間で10人から100人近くまで増えました。アジャイル事業部では育成要員も積極的に採用しているんです。若手は成長が早いので、正社員の増員は翌年以降の戦力として継続的に良い効果を生み出せるんですよ。

アイレットに転籍。自由な環境で新規事業へ意欲を燃やす

平野さんは2022年に KDDI からアイレットに転籍したんですよね。どのようなきっかけだったのでしょうか。

2021年に社長、副社長と月次ミーティングの機会があったんです。三人だけの場で、お互いに本音で話せる雰囲気だったので、「今後どうするの?」と聞かれて「このままアイレットに残りたいです」と話したらトントン拍子に話が進んで。KDDI 内での調整に一年くらいかかり、2022年4月に転籍となりました。


アイレットに残りたいと思ったのはどのような理由からですか?

これまで一緒に苦労して、苦楽を共にして事業部を大きくしてきたメンバーとの絆を感じていましたし、これで「来月から戻ります、さよなら」って去ることはとてもじゃないけれど考えられなかったです。あと、18年度はとにかく必死にこなした一年でしたが、19年度以降はやりたいことができるようになってきたので、積み上げたものを完成させたいなと。


今後はどんなことをやっていきたいんですか?

AI もそうですし、IoT とか。実はすでに NFT のマーケットプレイスの検証をやっているんですが、そういうことも自分たちの裁量でできるんです。
アイレットでは意思決定において形式的な承認プロセスを絶対視していないので、いい意味でやりたいようにやらせてもらえる。ベストな環境なんですよ。


ベンチャーの方が責任は重いようにも思うんですが、それをクリアしていけばやりたいことの裁量も増えていくんですね。

間違いなくそうです。
確かにベンチャーでは求められることが多いし、責任の範疇も広いですが、転籍前よりもたくさんの大きなチャレンジを今はできています。
あと、アイレットでは基本的に部署異動が少ないので、メンバー間の絆は強いです。同じメンバーでどう戦っていくかという長期的視点を持てるのもベンチャーの醍醐味ですね。

最後に

アイレットに興味を持ってくださった方は、ぜひ採用ページをチェックしてください!

▼中途採用ページはこちら▼
https://www.iret.co.jp/recruit/job/

▼新卒採用についてはこちら▼
https://www.iret.co.jp/newgraduate/

また無料技術勉強会も実施中です。興味がある方はぜひご参加ください!

▼無料技術勉強会はこちら▼
https://cloudpack.jp/event_list/study-tech/