はじめに

Google Cloud Next ’26にて発表されたアップデートでは、とにかくAIエージェントに関するものが多い印象を受けました。AIが単にチャットボットとしてユーザーの指示を待つだけの時代が終わり、自律的に思考し、計画を立て、システムを跨いで行動を起こす「エージェンティック(Agentic)時代」に突入してきているとのことです。

本イベントでは、これまでの生成AIブームを一歩先のフェーズへと推し進める画期的なテクノロジーが次々と発表されました。ハードウェアの物理的限界を押し広げる次世代AIチップから、長年の課題であったデータサイロを根本から破壊するクラウドアーキテクチャ、サイバー攻撃を機械のスピードで検知・防御する次世代セキュリティ、そして私たちの日常的な働き方を根本から変革する「Workspace Intelligence」に至るまで、その領域は多岐にわたります。

一つひとつの発表が大型アップデートに値しますが、全体を俯瞰すると、エージェント運用のライフサイクルを「基盤・データ・業務ロジック・セキュリティ」の全レイヤーにわたって垂直統合しようとする明確な意図が見えてきます。

1. AI Hypercomputer

エージェンティック時代のAIモデルは、桁違いの計算リソースと超低遅延のネットワークを要求します。Google Cloudは今回、単一のハードウェアで全てを賄うのではなく、「トレーニング(学習)」と「推論」という全く異なるワークロードの要件に完全に最適化された第8世代TPU(Tensor Processing Unit)を初披露しました。

  • TPU 8t(トレーニング特化)
    AI開発における最大のボトルネックである「学習時間」を劇的に短縮するモデルです。ポッドあたりの計算パフォーマンスが前世代比で約3倍という驚異的な向上を達成しました。最大9,600個のTPUまでシームレスにスケールし、次世代の大規模フロンティアモデルの学習コストと時間を大幅に削減します。
  • TPU 8i(推論・強化学習特化)
    メモリキャッシュをシリコン上に直接ホストするという画期的な設計により、コンテキストの長い推論において発生しがちな「メモリの壁(ボトルネック)」を打破しました。前世代比で9.8倍のパフォーマンス向上を実現しており、何百万ものAIエージェントが同時に稼働する環境下でも、ほぼゼロのレイテンシ(遅延)でエンドユーザーに応答を返すことが可能になります。

さらにインフラの進化はチップ単体にとどまりません。最大47ペタビット/秒という常識外れの帯域幅で134,000個ものチップを相互接続するVirgo Networkや、NVIDIAとの強固な戦略的パートナーシップの証であるVera Rubin NVL72の提供も発表されました。
また、AI以外の一般ワークロード向けにも、従来のx86プロセッサと比較して最大2倍の価格性能比を誇るカスタムArm CPUAxion N4Aが投入されるなど、あらゆるレイヤーにおいて妥協を許さない盤石なハードウェア群が出揃いました。

2. Agentic Data Cloud

どれほど優秀なAIモデルであっても、与えられるデータが不完全であれば正しい行動は起こせません。AIエージェントが企業の意思決定を担うためには、社内に散在する断片化されたデータをつなぎ合わせ、「信頼されたコンテキスト(Trusted Context)」を構築することが不可欠です。これを実現するため、データ基盤を刷新する4つのイノベーションが発表されました。

  1. Knowledge Catalog
    従来は手作業で行われていたデータ管理を自動化する統合エンジンです。構造化データはもちろん、PDFや画像、動画などの非構造化データがストレージに保存された瞬間に、Geminiが自律的に内容を読み解き、タグ付けと関係性のマッピングを実行します。これにより、AIが企業独自のビジネス言語や社内ルールを継続的に学習し続けます。
  2. Data Agent Kit
    開発者向けのVS Codeなどの既存ワークフローに、高度なAIスキルを直接統合するツールキットです。データエンジニアが自然言語で「過去3年間のログから顧客の解約予兆を予測するパイプラインを作って」と指示するだけで、AIが自律的にコードを生成し、データの抽出から加工までのパイプラインを即座に構築します。
  3. Lightning Engine for Apache Spark
    エージェンティック時代の大規模データ処理のためにゼロから再構築された超高速エンジンです。既存の市場リーダー企業が提供するソリューションと比較して、最大2倍の価格性能を提供し、インフラコストの最適化に大きく貢献します。
  4. Cross-Cloud Lakehouse
    AWSやMicrosoft Azureなど、他社のクラウド上に保管されているデータを、Google Cloud側にわざわざコピー・移動させることなく、直接かつ低レイテンシで分析可能にするボーダレスなプラットフォームです。高額なデータ転送料(エグレスコスト)を削減し、真の意味でのマルチクラウド分析を実現します。

基調講演のデモでは、これら4つの技術を組み合わせた圧倒的なユースケースが披露されました。「新商品の成分(大豆アレルゲン)による健康リスク」という非構造化情報と、「AWS上に存在する顧客の購買履歴リスト」という構造化データをAIが瞬時に照らし合わせ、わずか5分で1,500万ドル(約22億円)規模の経営的な意思決定を支援するというプロセスに驚きました。

3. Agentic Defense

AIがビジネスの成長を加速させる一方で、サイバー攻撃者側もまたAIを活用し、脅威を高度化・高速化させています。もはや人間のセキュリティ担当者(SOCチーム)だけでは対応しきれないこの課題に対し、Googleは「エージェンティックSOC」という新たな概念を導入しました。

ここでは「トリアージ・エージェント」と呼ばれるAIが常時監視を行い、アラートの優先順位付けから初期調査までを自律的に実行します。これまで人間のアナリストが複数のツールを横断して通常30分ほどかけていた複雑なインシデント調査を、わずか60秒で完了させ、被害の拡大を未然に防ぎます。

また、クラウドセキュリティ分野のグローバルリーダーであるWizとの強力な連携(AI-APP)もかなり興味深かったです。

  • Wiz Red Agent
    まるで自社のシステム内にエリートハッカーを雇っているかのように、24時間365日体制でシステムの脆弱性や設定ミスを継続的にスキャンし、攻撃経路を実証・特定します。
  • Wiz Green Agent
    Red Agentが発見したリスクのトリアージを自動化するだけでなく、修正のための具体的なコードや設定変更案を、担当する開発者に直接提案し、ワンクリックでの修正をサポートします。

近年、従業員が未承認のAIツールを業務で利用する「シャドーAI」による情報漏洩リスクが急増しています。今回のWizとの連携により、こうした未知のリスクに対しても人間の介入を最小限に抑えつつ、開発のスピードを落とすことなく安全なAI開発環境を強固に維持することが可能になります。

4. Agentic Task Force

AIエージェントは、バックエンドのシステムだけでなく、企業と顧客との接点、そして従業員一人ひとりの日々の働き方を直接的に変革し始めています。

Gemini Enterprise for Customer Experience (CX)

従来の「ボタンを押して進む」だけのストレスの多い自動音声応答(IVR)から、オムニチャネル対応の次世代カスタマーサポートプラットフォームが誕生しました。
YouTube TVのデモでは、AI音声エージェントが自然言語で顧客の曖昧な要望を汲み取り、複雑な料金プランを人間のようにスムーズに案内する様子が公開されました。さらに、顧客が急にスペイン語で話し始めた際にも、AIが即座に言語を切り替えて対応を継続する高度な柔軟性が示されました。新機能の「CX Agent Studio」を使えば、専門のエンジニアが不在の現場部門であっても、数分で新たなプロモーションキャンペーンに合わせたAIの挙動設定が可能になるとのことでとても驚きました。

Workspace Intelligence

誰もが日常業務で経験する「あの情報、どのチャットにあったっけ?」「探しているファイルが見つからない」といった、無数のタブを行き来する無駄な時間がなくなります。
Google Workspace全体(Gmail、Google Chat、ドキュメント、スプレッドシートなど)の根底に統合されたAI層が、社内情報のコンテキストを横断的に理解します。例えば、「先四半期の売上データと最新のマーケティング方針を組み合わせて、新しい提案資料を作って」と自然言語で指示するだけで、AIが自律的に必要なデータを各所から収集・分析し、自社のブランドガイドラインに沿った美しいスライド資料をわずか数秒で自動生成します。これにより、全社員に優秀な「デジタル・チーフ・オブ・スタッフ(秘書室長)」が配属されるような変革がもたらされます。

まとめ

イベントの最後、「AIの未来は、決して閉鎖的なものであってはならない」という主張に強く感銘を受けました。

今回発表された「AI Hypercomputer」「Agentic Data Cloud」「Agentic Defense」「Agentic Task Force」といった一連の新技術は、お客様を一つのエコシステムに縛り付けるためのものではありません。特定のベンダーによる囲い込みを防ぎ、データの保存場所や使用するインフラストラクチャのチップに至るまで、企業に究極の選択の自由をもたらす設計となっています。

人間がキーワードで情報を検索しAIが提示したテキストから正解を「推測」するだけの時代は終わり、これからのAIは、自社のビジネスの文脈を深く理解し、人間の承認を待たずに自律的かつ安全に「行動」を起こすフェーズへと移り変わってきています。

エージェンティック時代を迎えるためのプラットフォームの準備が整った今、この基盤を活かしてどのようにAIを自社のビジネスに実装していくかが、これからの最も重要なテーマになるかと思いました。